職業的に,毎日論文や研究図書を読むのですが,どれだけそれが「もの」になっているのかは,結構クエスチョンです.
特に,研究者同士で輪読する時などは,自分の担当箇所を必死にまとめるのですが,それでも「もの」になる時とならない時があるんですよね.何というか,資料作りが目的になってしまっていて,あまり中身が自分の中に落とし込まれていないというか.
この,「もの」にするの定義は難しくて,「記憶した」「理解した」「他人に説明できるようになった」などまぁ色々あるんですが,その議論は長くなるので置いといて,ここではいったん「自分が感覚的にその知見を色々な場面で使えるようになった」としましょう.
さぁ,どんな時に「もの」になるんですかね.自分でもよくわかりません.
この学習ピラミッド,結構有名です.
でも,この図自体はかなり修正が必要で,これじゃないんですよね(色々なところで色々な突っ込まみを受けてます...ま,基本的なスタンスはわかるんですけど...).
何となく感覚として思うのは,以下の点です.
〇その知見を自分が何に使おうとしているのかがはっきりしている.
〇さらに,その知見が自分にとって有意義な肥やしになる事が,ある程度想像できる
〇さらにさらに,肥やしとなったあとの自分を「イケてる,俺」と思う事ができる
〇読んだ知識を,自分なりに「書いて」まとめてみる
〇さらにまとめたものを,誰かに説明する機会がある
もちろん,中身が超シンプルで,かつ超インパクトがある場合,それが鮮明に頭に残って,「もの」になる時もあるのですが,複雑な知見になればなるほど,それが難しくなります.僕の場合は,上記の項目が揃っていると,感覚的に「もの」になるような気がしています.
読む量が多いと,必然的に知見の量も増えます.でも,それがドボボドボっと流ていってしまうと,もったいないんですよね.何とか,何とか,「もの」にしたいもんです.
皆さんは「もの」にするために,どのような工夫をしていますか?